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プラモ再開−3
  
   ミドリSC28「隼」の改造シーン

左写真はミドリ商会SC28の「隼」です。
S45年、図面を引っ張って、プラ板がまだ発売されていなかった頃ホウの木で、まるでラジコン機でも作るようにして改造しています。
マァそれ程”切った張ったの改造”だったわけです。左上に見える胴体前後をつなぐ冶具みたいな物が見えます。またカウリングは径を縮小しました。
左真中は裏からみた座席ですが、これはレベルSC32零戦のものです(^^;
右下はコクピット側面に張られたリブやノブが見えます。
胴体前後も繋ぎサア主翼を付けてと…という時の、S48暮れにレベルとハセガワからほぼ同時にSC32「隼」が出ましてチョンでした。(情報がもれたか…?)
なお、右真中に見えるのはバンダイ50の「零戦52」の主翼を32型に改造中のものです。
マア色々楽しんでいたわけですが、"実りは少なき我が人生"ではありました…
(この写真は5枚のを無駄の無いようにトリミングしたものです。)
 
ミドリは他にSC28の「零戦」「飛燕」を出していたがいずれも地上を滑走(這い回る)するタイプでした。
ミドリ商会の全般については、リンク「プラモデルの王国」⇒「王国栄光の歴史」に年表、写真入りで詳しく解説されています。

(2)色を塗る話についての考察
 
小学生の頃のノンスケールの模型には、水彩絵の具を塗り、仕上げに茶碗に移したニスを塗っていました。
薄め液が貴重品ですぐ硬くなりよく筆の毛がキットにくっ着いたものです。ある時はグライダーを作って余りに高性能だったので、
水彩絵具で色をカッコ良く塗ってそれにニスを掛けて勇んで飛ばしに行ったら機体が重くなりガタンガタンといってうまく飛ばなくなりガッカリした事がありましたっけ。
私がスケール模型を作り始めたのは昭和32年頃ですが、その時使っていたのはもっぱら高さ7〜8cm、直径5〜6cmの缶入りエナメルでした。
エナメルも表面がすぐに固まって皮膜をナイフで破って色を筆に付けていたナァ。銀とか金とかは粉末 だったんですヨ。銀粉を缶とか袋から出す時でも粉末が舞い散っていました。
それを 飴色に変色したクリアーとラッカー溶いて塗っていました。今時の親がみたら「健康に有害ダ!」の一言で取り上げられることでしょう。取り扱いを誤れば有害なのは今も昔も同じですけど…。
1959年、中2頃には殺虫剤用の手押しポンプを改造して吹付け塗装したものです。
初めてSC50のT−33に銀色を吹付けた時は「ヤッター!」と思い気持ち良かったですヨ、それまでは、下地に白を筆塗りで乾いては塗り乾いては塗りして、
その上水ペーパーで研いでいましたから、吹き付けだと乾きが早く一回で重ね塗りも出来て大丈夫でしたので簡単快適でした。
またプラキットだと銀塗装は筆塗りの方が輝いて見えるので吹付けはあんまりやりませんが、当時は下地に白色を塗っていたので、
銀を筆で塗ると下地と混ざり合って必ず沈んだ灰色になるところがあり、その上に銀を塗り重ねると、ボテーっとなり大変でした。
エナメルどうしの重ね塗りですから、白地に日の丸はピンクになりました(^^;; 

それからず〜っと後の昭和43年頃「レベルスプレー」と「マスキングゾル」が発売されました。
早速飛び付いて吹き付けたのがタミヤ「鐘馗」です。  まず下面からライトブルーを吹きました。「レベルスプレー」はノズル径が太くジャバッと塗料が噴出し、危うく左手から「鐘馗」が勝手に飛んでいくところでした。
すごいガスボンベの圧力と大口径ノズルで塗料がベタッと付いて垂れてます。
上面の濃緑地に茶色の斑点を紙パターンを使って吹きましたが、浮かして持ってたパターンが、ボンベガスの風圧で機体表面に張り付いて、
まるでイギリス機の”くっきり”状態になり、筆による手書きとおんなじで、とても夢に見た”ぼかし”状態になりませんでしたが、
皮肉な事にガスが無くなる寸前がこのぼかし塗装に最適な使い時でした。チャンチャン !  (改造したぞ2に写真があります)
現在、これに似ているのは缶入りカラーやサフェーサーです。(缶入りよりレベルスプレーは口径はさらに太かったが…) 5年前に缶入りサフェーサーを使った時、予想はしていましたが、
やはり最初はドバーッとサフェーサーがキットに襲い掛かり、私の耳がウサギみたいにピーンと立ったのを思い出しました。
道理で ”缶入りは感が要ります” ド、ドン 

(話を戻して) これに懲りて、次に買ったのが「ピースコンヤング」 私も若かったので当時はピッタリの商品でしたが、どういう訳か今も相変わらず、若いと言っている訳ではないが…このヤングを愛用しています。
ただ、ガスの方は最初はもちろん市販のものを使っていましたが、そのうち「なんで周りに只の空気があるのにガスを買わなきゃならんのだ」と思い、空気を詰めるボンベを作る事を思い立ちました。(…またかヨ?)
プロパンガス容器と口金の中古を買ってきました。空気を入れるための口金は、自転車の口金をガスボンベ口金のネジ部分に2液混合接着材を塗って径がピッタリなので叩き込んで作りました。
空気を出すのはボンベの口金をそのまま利用し、安全弁を外してホースを取り付けるだけで完成しました。
さて、なにしろ自殺にも使うという毒ガスが入っていたボンベですから、中身は空であっても臭いクサイ、ガソリンスタンドに行って
空気を「入れては出し、入れては出し…」を繰り返す私を、スタンドの人達も”うさん臭い”顔で遠くから見ているのが分かり恥ずかしい思いをしながらも、知らんふりして空気を入れて持って帰りました。
そのイヤな雰囲気に遭遇したので早速自転車用の空気入れを買って入れましたが、なんと1分も掛からなかったですネ満タンには。
注: この頃は地下にもぐった学生運動のセクト同士の暴力抗争が時たま新聞に載った時代ですから、ガスボンベを車に積んで移動したり夜中に「シュー…」という音を出して明け方近くまで明かりを点けてゴソゴソしてたらみんなに警戒さ れていたのかも。

   …そうS48年の冬の事でした。まず取り出したのがタミヤのSC35の88m/m砲とハーフトラックで、イエロー地にグリーンのメロメロ迷彩です。空気は只ですし、ピースコンヤングには調整ノズルも完備。吹きつけ開始。 
良かったです。うまくいきました。ただ難点はやはり ”くさい!!” プロパンは事故防止のためわざと匂いを付けているそうですが、そこまでやらなくとも…と思いました。なかなか抜けなかったですネ、あのタマネギのような臭い。それでも5年は使ったでしょうか。 
しかし、このような”ドタバタ”が楽しい思い出になっています。 
今の時代に当てはめると、レジンの船体を自作してみたとか、エッチングパーツを自作してみたとかのチャレンジのようなものでしょうか。

時代は流れ…… 
昭和54年にあの”田尾さん”が自宅までヒョッコリ訪ねてみえて、在庫は多く、完成品の少ないギャラリーを一通り見て戴いたあと「コンプレッサーは見当たらんが…」とのお言葉に、
「ハッ閣下」とは言いませんでしたが「持っていませんがその代わりガスボンベに空気を入れて代用しています」と応えたところ、目を細めて「PXから通販で買ったのがあるから送るわ」と
おっしゃられて帰られましたが、しばらくしてアメリカ製のコンプレッサーとスプレーが送って来ました。その以来「ガス中毒」からの恐怖は無くなりました。  (99.8.21UP)

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