Title7.jpg (5875 バイト)

プラモ再開-2

上左から  レベルのSC28キャメル SC72スパット、 タミヤ F4E SC100
キャメルは大型で作り易く素晴らしいキットでした。上翼が下に下がり気味だったので支柱の長さを調節して強引に押し付けて平行を保っています。
塗装は又しても全て手書き(ラダーの機種名等はデカール)でした。当時「プラホビー」という新聞状の模型塗装の解説誌がありそれを見て塗っています。(昭和50年まで新聞紙スタイルで、二つ折りの雑誌状になり、その後2年ぐらい?で廃刊)
瞬間接着剤
そう言えばS45年頃に「瞬間接着剤」なるものが田舎町にもは入ってきました。入荷直後一時は模型屋の親父が来る人来る人に「瞬着」を指に付けて見せ「ホラッ指がくっ付いて離れんでしょう?」と
鼻をピクピクさせて説明してましたが、あの親父の親指と人差し指の指紋は29年後の今も消えたままでしょうか…‥?(今思えば指紋を消したいぐらいの暗い過去があったのかどうか…は永遠の謎となった) 
その「瞬着」を初めて使ったのがこのキャメルの張り線からです。前ページの零戦の燃タンは2液混合タイプで付けようとして乾きが遅いのでドライアーで暖めたらタラタラと流れ出した、という時代に比べたら便利にはなったのですが、価格が高かったので貴重品扱い。
使うのが勿体無くて冷蔵庫に入れっぱなしで、取り出したら白っぽくなってカチンカチンになっていた。 確か瞬着1本でSC48の零戦が買えた時代でした。今は百円で買えますが。 
真中はスパッド、プロペラが停止してます。  SC72シリーズのこの小さな機体に張り線を丁寧に張ってる人いましたが私には張れませんでした。
張ろうと思えばキット簡単に張れるのでしょうネ!(……どうもわからん性格やナァ)
右はタミヤSC100ファントム。これに惚れ込んでサンダーバーズ予備機まで全てを作った人もいました。 …が、私は冷静にこれと迷彩機の2機だけです。機首の部分を若干太めに改造しました。雑誌のご指摘のとおりに。

上左はハセガワ72F104。メタリック仕様の機体ですが旧日本陸軍の塗装にしてます。タミヤ疾風を吹き付けていてそのついでに。
右はタミヤ100F4E。サンダーバーズ機と同じキットです。

当時の飛行機キットは1/72や1/32が充実していて、1/50キットが全然市場に有りませんでした。
そこで私は各メーカーに「もっと1/50キットを…」と”陳情”したものでした。やはり”ソリモ出身”は1/50に拘っていました。
その後、オータキ1/48シリーズで夢が叶い飛び上がったものです。その直後タミヤが「疾風」が発売された時は4機まとめ買いをしました。
そしてニチモの「隼」「屠龍」等傑作キットが続いて発売されてきました。

タミヤのリモコンタンクを最初に作ったので、その後SC35のタイガー1とSC25のチーフテンを作りました。
タイガー1はキャタを弛ませるのに接着で苦心しましたが、結局”糸でしばる”方法で落ち付きました。今ではゴムホースに亀裂が入っています。
しかし、イッチョマエにフェンダー各所を薄く削り、香取線香で曲がりくねらせたり、パテを塗付けてドロの表現をしています。
チーフテンはSC25の大型キットで心ウキウキで取掛りましたがモーターの取り付け位置が高過ぎて車体低板を”キーキー”いわせて削り取り付けました。
またリモコンキットでしたのでコードが車体にいつもくっ付いているのは興冷めですので、L型のコンセントを自作して動いた時は感激したものです。
組立式キャタのバリを安全カミソリで100個近く取り、組立て、吹き付け塗装によってまた回転がうまくいかないところの塗装を剥がしたりした真冬の深夜の出来事を今も思い出す事が出来ます。
それに壁に紙を止めキャタを垂らして吹き付けてそれを取り外した時に見たクッキリと浮き出たキャタのシルエットを今でもハッキリ思い出します。
私は「模型制作日誌」をズーッと付けています。若い頃は何にも感じなかったが、50歳を過ぎると私にとってこの日誌と数多くの模型は重要な意味を持って来始めました。
模型の1つ1つに込められた時間があるわけで、そのどれを見てもその当時の情景が浮かんできます。

上左: タミヤ700 大和 とニチモ500 伊勢
これは「日向」のページにある写真のものの前にほぼストレートに作ったものです。ただ煙突周りの櫓をランナーで組み込みました。

上右と下: 
タミヤ700 最上
WLシリーズで一番最初に作ったものです。やはりメーンマストを自作しています。

昔ばなし8  Top