高見 治男 さん 作 品 その1

高見治男さんのCG作品「利根」を紹介致します。
高見さんは、ご存知「深雪会」の代表者として活躍されている方です。

この作品の詳細はHP 「 深 雪 会 」 でご覧になれます。
直通リンクからは  「利根-1」 の下段と、「利根-2」 で詳しく見る事が出来ます。

常々、岡本好司さんの模型のリアルさには、感動してきました。 自分もそれらを作り、眺めたいと思ってきましたが、今迄果たせませんでした。その原因は、技術力と根性の不足、そしてそれに不釣合いに眼の肥えすぎにあると、悟りました。
これから「利根」を作ろうと思われる方がおられましたら、何処か参考になればと思い投稿させて頂きました。


1938
年に調製された図面からモディファイ(修正)して、19446月の状態(マリアナ仕様)の図面を作り、これを基に進めています。
ですから、一部に間違いが在るかも知れませんので、内容を鵜呑みにせず、斜めに構えて眺め、笑いながら参考にして下さい。
ご意見がございましたらこのサイトでご指摘下されば、大変ありがたいです。


写真1
艦橋右舷中央部を見る

写真2
上部艦橋甲板より上を示しています。搭載機器は殆どモデリングされていません。
羅針艦橋甲板のブルワークに取り付けてある、30Cm信号灯は、一般艤装図には、記載されていません。しかしこの甲板の必需機器のため設置してみました。
信号甲板の信号灯ポケット(スポンソン、ブルワークが半月に切り欠かれている所) の支柱がアングル材に見えますが、実際は鋼管製です。C.Gのモデリング操作ミスでデーターがあばれたための結果で、修正中です。
前方のスリットのある所の内部は、操舵室(前部)、第一応急指揮所になっています。

写真3
三段の艦橋甲板を背面から眺めたところです。上から、羅針艦橋甲板、信号甲板(旗甲板)、上部艦橋甲板となっています。前から見ると最上型とソックリですが、後ろから見たこのあたりは改良設計の一部が明瞭に見て取れます。
左右のメインの信号旗掛け柵の真ん中は1mの隙間があり、ここはメインマストに登る梯子に行くための通路です。又その通路の両脇には、天幕のための鋼管支柱がたっており、またYの字を繋いだ梁のパイプフレームには天幕がロールされて縛り付けられていました。
信号旗掛は四つ有り、更に他に長さ1.5m程の大きな信号旗格納筐が有って、旗の数は長門型並みと思われます。
この信号旗掛け、天井はオープンで示して有りますが、ここにも作業後はキャンバス覆いが有ったと思います。旗が雨に濡れたらビショヌレで旗どうしがくっついて、ピックアップが困難になるのではと・・・・・。
それはそれとして、旗を掛ける信号旗索の末端はどこに止められたのでしょうか ?  模型でよく見る信号旗掛けに止めるのは間違いと思います。 ちゃんと真近に独立して信号旗索掛けの装置が存在していたと断定推量します。この再現がプロ・アマの一つの分かれ目かも知れません・・・・・。
(04.03.20) 

写真4.
高角砲甲板から、艦橋前部を見上げたイメージです。人の目より僅かに広角気味になっています。一番右上に写っている遮風柵の構造ですが、内側の促流板は少し下に長過ぎかも知れません。また、手前の高射装置ですが、窓を全て開放にしたため、妙な感じになっています。C.G写真の場合、まるで縫い目無しの一枚皮となってしまいます。この不自然さを防ぐため、実艦通りに外板の繋ぎ目、汚しが必要になりますがまだそれをしておりません。

写真 5
高射装置のペデスタル(回転部の基台)に一本のジャッキースティが付いていますが、筑摩はこれが上下二本になっており、近接写真における識別点の一つになっています。 右上の電探ANTの直前に、一見耳かきかゴルフクラブのアイアン状の物が写っていますが、これは逆探ANTと支柱のつもりです…。 マリアナ沖海戦の際に撮られたとされる有名な写真に従ったのですが、残念ながら今に至ってもそのデティルが掴めずこうなってしまいました。

写真 6
前部マストトラス越に艦橋背面を見上げたイメージです。トラス構造の中段にあるこのキャビン、もとは方位測定室だったのですが、方探ANTを射撃塔の直後に移設、電探測定室となっています。このキャビンの入り口の位置は、利根は右舷、筑摩は左舷となっており、従ってサイドウオークもそれに倣っています。運用上、双子の識別を容易にするための配慮でしょうか?      この電探室、床面積はほぼ1.4mx1.4mしかなく、電波機器を設置しただけでいっぱいになり、またその機器の発する熱でどうにもならないのでは…。この電探室への経路は、旗甲板(信号甲板)からマスト前脚にある梯子で登る、防空指揮所(旧称測距甲板)からサスペンションブリッジを通ってと、二つ有ります。 しかし何故、重量増加と費用をかけて2系統も用意したのでしょうか? 防空、海上警戒上の連携作業としてだったのでしょうか?
(04.03.30) 


写真7
注目されている機銃プラットホーム直下の「謎の部屋」と機銃員待機所を狙ってレンダリングしました。 いつ増設したかですが、私は方探を移設した時としますが、どうでしょうか。この部屋の取り付け位置の前後方向は、機銃プラットホームのバックストラクチャーの内、最前列の梁に部屋の前側の荷重を持たせて吊るしたと考えています。従ってブルワーク前面より、部屋の前面の方が後退している事になります。
そして中間は、機銃の両支柱を繋いで梁を作って載せ、後部は艦橋構造縦フレームにと、それぞれの荷重を分配したと想像しています。この部屋、床が宙に浮いているため床の裏にリブがあったと思います。模型上もそれが無いと変だと思います。
待機所は画面左下のグレーのものがそれです。下手なスクラッチビルドの様に不恰好ですが、呉播磨造船所の写真と公式図の平面図を掛け合わすとこうなります。待機所に至るには、機銃プラットホームから作業灯の脇を通り、0.5m程の段を降り手摺に沿って入り口に行く事になります。竣工当時からの経路の途中に入り口が出来た感じです。 

写真8
高射装置の内舷側に在る構造物が機銃員待機所です。艦尾側にもドアが在ったと公式図は描いています。利根の竣工時写真の内、世艦
No.71のP17も待機所の存在とお尻の幅の概略を示しています。ただ問題は、この部屋の幅ですが写真の様に下部艦橋に0.7m幅程のドアがありこれが開けられる様せねばならないと思います。最上型同様左舷側にそれが無いからです。 その結果この様な細長い部屋を想像しました。
別の話ですが、機銃プラットホームのブルワークのリブをご指摘頂いたTリブとしなかったため一部消えています。ただの面としてリブを作ったためでC.Gの上では理論上厚さゼロ扱いです。早いうちに改めます。
艦橋背面には、写真に示す煙突をまたぐ回廊が図面にありましたので付けてあります。但し滑り止めと手摺はアドリブですから信用しないで下さい。
1.5m測距儀の艦内側には、一段高いステップとドアが在ったと平図面は示しています。但し、側面図にはそれらの線が全くないので見込みをしました。見張り方向盤の出入りはその外筐の背面から直接と思いますが絵として表現していません。
写真
9
右舷前方の上方から、待機所を見たものです。ドアを半開きにした所が待機所の入り口のつもりです。この入り口高さが1mちょつとしかなく、体をにじって入ったのでしょうか。 呉播磨での解体写真でも、両舷に黒い穴が入り口として確認できます。ただ間口高さを確保するためか、天井が艦尾方向にスロープをつけてせり上げてあるはずです。でないと、C.G上、0.5m位の間口高さになってしまうのです。この写真では、平面形状として、高射装置支柱の逃げを付けていませんので、注意して下さい。
筑摩においても、この待機室が同じだったかと言う事は私には分かりません。しかし、物理的に考えると収容能力は同等でなければならないと思ってします。
ひゅうが之介さんのご質問で、射撃の指揮官の待機所は…とありましたが九五式射撃装置から、オペレーター3人と梯子で機銃甲板に降りた後この待機所前で別れ、指揮官は脇を更に下に降りドアから艦内待機室に向かったのでは…と。 (見てきたようなウソになるかも知れませんが)以上写真7,8,9についての皆さんの見解を教えて下さい。
( 04.04.05 )
写真10
#1, #3 砲塔のフロントビューです。右砲は砲の取付け部が分かり易い様キャンバスを外して有ります。バレル(砲身)はライフルをまだ切っていません。
写真11
#2砲塔を背面から眺めたものです。「利根」のみ測距儀遮熱カバーの「尾根」がうねっていた様です。 このカバーの側面に、アクセスカバー(点検カバー)が有ったと推測し、それを描いてあります。但しこれは公式図には記載が無く、また準同型の最上の写真にも見い出す事は出来ません。皆さんのご賢察、ご意見を待っています。
写真12
「利根、筑摩」の#4砲塔です。右砲とそのキャンバスを外した状態で示してあります。 また砲塔長用のペリスコープは開の状態にしてあります。 #4砲塔のみ、その天蓋にハンドレールが有ったと爆調写真から見て取れます。ただ何故かその長さが、左右異なっているのです。爆風で一部が飛ばされたためなのでしょうか ?
写真13
#4砲塔の背面を示しています。当サイトのBBSにてディスカスをしたところ、貴重な意見、写真を頂きました。 これが基で「重巡砲塔の背面扉とその附近の構造」が、全艦かなりの共通点を持っていると判断するに至り、この写真の通り改めました。 資料提供されたひゅうが氏には、心から感謝致します。



写真14説明
マリアナ海戦時の有名な「利根」の写真を見ますと、前部マストの下段に小さな部屋が見て取れますが、丁度信号甲板とほぼ同じ高さに有り竣工時には無かったものです。 この部屋の工事図面が入手出来なかったため、写真を見ながら、
C.Gとして再現してみました。いつ ・何の目的で増設したのか、どなたかご存知でしょうか ? BBSにて取り上げて検討をお願いします。      
( 04.05.27 )

写真
15,16説明
砲塔のディスカスも終わり、砲塔に艦橋データーをインポートしレンダリングしてみました。 レンズ焦点距離を55mmにセットしましたので、実艦の眺めはほぼこの印象であったと思います。 但し前甲板表面、シェルターデッキの前面、ラッタルなどは、まだモデリングしていません。
( 04.06.01 )

写真17の説明
前部マストのトップを示します。このC.Gは、ひゅうがさんのご支援、爆調写真、それと私の霊感を足して 3 で除して求めました。かなり見てきたような雰囲気が出ている気がしますが、皆さんはどう思いますか? ひゅうがさんのおっしゃる「頂上灯」ポストに13号電探が付けられたとのお説、この支持構造、高さですと可能です。 ただマリアナでは付いてたかどうか… また、無線電話用ANTは、竣工時より約 700mm下に移動されている様です。

写真18の説明、
九四式高射装置です。 私は疑問に思っているのは、本装置の天蓋に有る小判型の観測窓の蓋(ドア)の開け方です。故 森恒英さんはスライド式ドアとされておりますが、あえて「ヒンジ式押し開き」と考えてみました。 その理由は、「スライドレール」を付けると「蓋の防水構造」の設計をどうやるか ? という事です。 どちらが正しいのか、どなたか教えて下さい。 

写真19の説明
きうちさんから教えて頂きました「信号灯、羅針盤、哨信儀付双眼鏡は、羅針艦橋後部を、艦尾方向に延長して、両舷に増設した」とのお説に従いC.Gを変更しました。画面右上がそれです。 またひゅうがさんのご指摘に従い、機銃員待機所に降りるハシゴに、少し傾斜を付けて取り込みました。また、ひゅうがさんから頂きました筑摩の写真に従い、1.5M測距儀の支筒に途中からテーパーを、追加しました。 尚、高射装置は外して表示しています。
( 04.07.22 )

TAKAMIさん2  友人Info