岡 本 好 司 さんの 作 品  3


主砲塔


(写真上右)
8
センチ外
砲のUp
砲身上に8センチ外膅砲を載せましたが主砲の砲身は消耗品で何発かの発射で内筒のライフリング(旋条溝)が消耗して使えなくなります。そのため射撃訓練は省エネをかねてこれで練習をします。 作業台の後部が「く」の字になっているのは仰角時少しでも足元が水平を保つためのもの、 窓が砲塔上にありますが両側のものは砲側照準器が入っている。中心に取り付けられたものは観測鏡です。これには上にカブト虫の角のようなものが付いていますがこれは照準を合わす訓練を行うときここに可動する柱をとりつけ、これにワイヤーをかけて砲塔上に設置されたウインチ(爆風除のカバー付)で照準器の基準点を微調整します。この照準演習装置を取り付けた写真は数枚残されていますが手短に見れるものは学研No15111の折込み図で何となく感じとってもらえるかと思います。


(写真上左)
三番砲塔を上部から見る
外膅砲の作業台ある容器は薬莢を入れるもの、写真では取っ手が付いているので後日付ける予定
です。私以外の模型では亀井氏の「伊勢」に付けられています。天蓋にキセル型の通気口を付けましたが主砲発砲時は密封状態にされます。又、このクラスのみ砲塔上の手摺支柱のチェーンは中間が付いていないのが特徴です。

(写真上右)
四番砲塔の天蓋
手前にある箱のようなものは照準演習用移動機でガバーを付けた状態、中にワイヤーを微調させるためのウインチが収納されている。二箇所の丸いものは通風口の蓋

四十五口径四一式36センチ連装砲に付いて同型艦4隻中「金剛」「比叡」はヴィカース製ですが「榛名」「霧島」は国産でつくられたもので砲塔も国産で作られたものは砲塔外形に丸みがつけられている。発砲時砲身にかなりの衝撃があるがその反動は水圧のピストンにより砲身が砲室内に引き込まれたのち復帰してショックを吸収する。この時砲室内の気圧が一瞬高くなるため鼓膜を痛める危険性があります。

主砲発砲の手順は以前「主砲方位盤」や「主砲発令所」などの説明で取り上げましたがそのデーターが砲室内の射手や旋回手に伝えられ各部所のメーターの針が作動します。このメーターは府仰受信機・旋回角受信機でメーターには針が2本付いていて1本の針にもう一本の針をハンドルを回して追従させてゆくものでこれによって砲が旋回し府仰します。(「基針」(長針で赤色)に「追針」(短針で白色)を重ねて行き発射命令時この針が重なっている砲のみが発砲される。今のカメラと同じでピントが合わないとシャッターが降りない仕組です。)学研No13のP93にイラストが出ているので参考にして下さい。( '04.03.23 ) 


中央部の鳥瞰

( 写真上) 右舷艦橋付近を上から見る。
主砲や17メートル内火艇は撮影のため載せたものでまだ取り付ける段階には至っていません。
舷側に配置された副砲は榛名の場合、円形ケースの天井の蓋が無く、キャンパスで覆ってあるらしく(模型では上部周囲と上面を灰色にした)
これは設計時の時点で仰角が要目以上に角度を付けられるのをカモフラージュしたか、あるいは重量の削減のためと推定します。

艦橋や煙突は取り付けてみると単体部品でみるより以外とシンプルに見える。
( '05.12.23 ) 

( 写真上) 中央部を上面から見る。
細かい通風器はまだ未搭載であるがデッキライト、や所々にある点検用の蓋(用途はよく知りませんが)

排水口のスノコは取り付けました。デッキライトの位置は図面通りとした。レールはまだ半完成のままです。
( '05.12.23 ) 

         N E W

艦の中央煙突付近

この時代の資料は長門型に比べて少ない。特に煙突周囲の資料は写真に頼るしかなく、今回の模型製作にあたり新たに設計の段階から見直してみた。
とりあえず各、角度からみた場合、写真と同じ形状に見える様 知恵を絞りました。後檣には大型のデリック.ブームがあり主に内火艇の揚卸に使用される。 
戦艦の場合、内火艇は(大和を省く)17メートル内火艇1隻12メートル内火艇1隻、14メートル特型運荷船2隻、9メートルカッター4隻、9メートル通船1隻、

と大抵この様な艇の数が一般的ですが、今回は多少変化させて搭載してみた。


 ここで私自身疑問に思っている点があります。それは内火艇「ないかてい」を「うちびてい」と皆さんが呼ばれているようですがこれは「ないかてい」が正解と思います。

海軍辞典には「うちびてい」となっているそうですが海軍で実際艦に乗艦されていた方々は皆、「ないかてい」と呼んでいたので制式名はそうなのかも知れませんがこれが通常の呼び名と思います。
もし昔軍艦に乗っておられた方とお会いできる機会があれば聞いてみてください。 
( '0604.20 ) 


岡本さんの作品


この写真が昭和42年頃に「航空ファン」や「モデルアート」で発表された写真と同じ雰囲気を伝えるものです。
当時は資料が出回っていない時代でして、リサーチは苦労されたのではないでしょうか。


これは、平成14年に、一時 明治神宮 より里帰りして”お化粧直し”をされた時の写真です。
学研「扶桑」に詳しく写真・解説が載っていて、よくご存知の名作です。搭載機の有無、後部マストや張線等の変化があります。

 

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